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歴 史
チャツボミゴケ公園はかつて日本有数の鉄山(群馬鉄山)でした。当時、日本は海外からの鉄鉱石の輸入がままならず、国内鉄鉱石の増産が求められていました。
群馬鉄山は、昭和24年7月には月産2万トン、総出荷量は約300万トンを出荷し、釜石鉄山につぐ日本第2位の鉄鉱山として戦後日本の復興に貢献し、昭和40年にその役目を終えて、閉山しました。
現在は自然豊かで静かな森ですが、かつて鉱山には、2000人以上の人が住み、子どもが300人程もいて、劇場や売店や映画上映会、運動会などで大変にぎやかだったそうです。全国から鉱山生活者が集まり、地元の人もたくさん群馬鉄山の仕事に従事していました。
現在、日々通学、通勤に使われているJR吾妻線(渋川駅から長野原草津口駅)は、元々、鉄鉱石運搬専用線として昭和19年に鉄道省が開通させたもので、当時は、長野原駅から太子を結ぶ鉄道も敷かれ、鉄鉱石は索道(ゴンドラリフト)で、太子駅まで運ばれていました。太子駅は昭和46年に営業廃止となりましたが、ホッパー(鉄鉱石を貨車に積み込むための施設)の基部、ホームの石積み、線路止めなどが往時のまま残され、中之条町産業遺産群のひとつとして、一般公開されています。
歴 史
群馬鉄山の概略
昭和18年 日本鋼管株式会社が鉱業権を買収、採掘を開始
昭和19年 索道第一線が完成
昭和20年 鉱石が初出荷されるが、敗戦により事業停止
昭和24年 鋼管鉱業株式会社が発足、月間2万トンを産出
昭和26年 太子焼結工場が完成
昭和37年 太子焼結工場が閉鎖。


円内の巨大な水たまりが穴地獄と呼ばれていました。採鉱により消滅しましたが、同地はそのままの名称で呼び継がれています。
※参考「六合チャツボミゴケ生物群集の鉄鉱生成地保存計画書」
編集・発行 中之条町教育委員会事務局生涯学習課
発行 平成31年3月31日
昭和40年 鉱床の老化等により閉山。総出荷高約300万トン。



※参考「群馬鉄山はるかな旅」
編集・発行 鋼管開発株式会社
発行 平成9年6月20日
群馬鉄山の概略
昭和18年 日本鋼管株式会社が鉱業権を買収、採掘を開始
昭和19年 索道第一線が完成
昭和20年 鉱石が初出荷されるが、敗戦により事業停止
昭和24年 鋼管鉱業株式会社が発足、月間2万トンを産出
園内の巨大な水たまりが穴地獄と呼ばれていました。採掘により消滅しましたが、同地はそのままの名称で呼び継がれています。
※参考
「六合チャツボミゴケ生物群集の鉄鉱生成地保存計画書」
編集・発行 中之条町教育委員会事務局生涯学習課発行
平成31年3月31日
「群馬鉄山はるかな旅」
編集・発行 鋼管開発株式会社発行
平成9年6月20日
昭和26年 太子焼結工場が完成
昭和37年 太子焼結工場が閉鎖。
昭和40年 鉱床の老朽化等により閉山。総出荷高約300万トン
索道鉄塔

最盛期の群馬鉄山

見晴台付近

太子の焼結工場

吾妻線太子駅

穴地獄

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